Artist Name
Shigeto Yamashita
絵を描く事は誰にでも与えられた行為であり、経歴や認められた人だけが、あたえられるものではない。周りの目に影響されず、いかに自分らしさを表現できるか。それは、芸術に限らず、社会が未来を切り開くために必要な要素だ。その自由が誰からも支配されないために、自分だけの世界を探求し、開拓していくために、芸術があるのだと思う。
僕は体に重い障害がある。絵を描く上で、ペンを4本の指で支えることしかできない。これは悲観すべきことではなく、限られたごくわずかな者にしか経験できない、新しい現代アートを生み出す大きなチャンスなんだ。僕は与えられた障害を逆手に取り、多くの人がみえない視点、感情を一枚の絵に全身全霊で魂を注ぎこむ。その作品に込めた魂は多くの人の感動や共感にはつながらないかもしれない。なぜなら、僕の描く絵は、障害に限らず、傷つき、もがき苦しみ、生きる希望を見失った人たちやそれを本気で支える人に向けたメッセージだからだ。
1973年宮崎県で生まれる。3歳に進行性筋ジストロフィーとわかる。7歳で夢を絵描きと語る。小5に愛媛松山市の味酒小学校から徳島県内の鴨島支援学校に転入、同時に国立療養所徳島病院に入院する。絵画、作詞作曲、現代詩の活動に取り組む。
1993年  第6回障害者自立読売絵画展「寬仁親王杯」受賞(社福ありのまま舎主催)
             
徳島県民文芸展詩部門優秀賞
1994年 宮城県仙台市内の大白ありのまま舎に入所する。絵画、音楽制作に取り組む。     
1995年 泉岳志さんと音楽制作に取り組む。(高松−仙台間をネットでつなぎDTM制作)
     第11回ありのまま記録大賞詩部門 天沢退二郎賞 
1996年 菅沼敦子さんと「二人展」(ユアテック本社/仙台)
1997年 フランス・パリで美術館巡り、第一回個展(仙台・丸善画廊で初の個展)
1998年 第二回個展(仙台市シルバーセンター)、グループ展「LINK展」(あわぎんギャラリー)
1999年 自主制作CDアルバムを発表。NHKの福祉番組で紹介される。人工呼吸器を使い始める。
2000年 第三回個展(TAKUTAKUギャラリー/仙台)、肺炎で4ヶ月入院、結婚、地域で生活する。
2001年 CG制作に取り組み始める。オリジナル卓上カレンダーを制作、以降、現在まで継続中
2003年 気管切開手術で声を失う。
2004年 第四回個展(大草原の小さな家/宮城県亘理町)、山形のWeb制作会社で在宅勤務。
2005年 第五回個展(弐萬圓堂ギャラリー/仙台)
2007年 IT企業に就職(在宅勤務)
2015年 障害者アート協会の登録作家となる。以降、多くの企業で作品が採用される。
2019年 グループ展「第1回アモラボアート展」(アマンド銀座店/東京)
2021年 京都芸術大学芸術教養学科(通信制)に入学
2022年  「可能性アートプロジェクト展 2022」(トッパン小石川本社ビル/東京)
             三国ワインのワインボトルのデザインに作品が採用される。
2023年  「古着DEワクチン(mini)」の商品パッケージに作品が採用される。
             「可能性アートプロジェクト展 2023」(トッパン小石川本社ビル/東京)
             国際福祉機器展2023(東京ビッグサイト)のブースに作品3点が展示される。
2024年 「古着DEワクチン(通常)」の商品パッケージに作品が採用される。
             「可能性アートプロジェクト展 2024」(トッパン小石川本社ビル/東京)
             雑誌『生活と福祉』(全国社会福祉協議会)の2024年度全月の表紙に作品が採用される。
    詩誌『詩と思想』5月号の特集で詩作品が掲載、7月号の読者投稿で入選(苗村吉昭先生選)。



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